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東京高等裁判所 昭和52年(行コ)18号 判決

控訴人 中野税務署長

代理人 細井淳久 佐藤恭一 ほか四名

被控訴人 共同電気有限会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張及び証拠の関係は、次のように付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

第一主張関係

一  控訴人の主張、認否

(一)  本件簿外預金(仮名預金)の帰属について

1 被控訴人は、本件簿外預金の資金出所について、一、八〇〇、〇〇〇円は被控訴人代表者の実弟である崔鳳植に対する貸付金を昭和三四年から同三七年までにかけて回収した分であり、その余の五、四三〇、〇〇〇円は昭和三六年八月ごろから同三八年二月ごろまでの間被控訴人代表者の実父崔次考等からの借入金五口をあてたものであると主張するが、多額の現金を自宅に長期間保管しながら日掛預金をするということは極めて不自然であるのみならず、右借入金に関する公正証書はいずれも本件更正処分に対する異議申立日(昭和四〇年一月一九日)以降に作成されたものであり、かつ、その返済状況が不明または不自然であり、右金銭消費貸借自体が存在していなかつたことは明らかである。

2 本件簿外預金を構成する伊藤一郎、大石一郎及び山田とく各名義の普通預金口座には六〇余枚の小切手等の入金があるが、これらの小切手等の一部は被控訴人の売上代金の回収であることは明らかであるし、また、本件簿外預金から被控訴人の公表預金である当座預金に預替されているものが一九回もあり、このことは本件簿外預金が公表預金と混然一体となつていた事実を如実に示すものである。そして、右各仮名預金間の出金、預入、振替等の状況からすると相互に密接な関連を有する典型的な営業型預金であり、また、日掛預金は日銭収入がある者が行うのが通例であるから、本件簿外預金が日銭収入のない給与及び不動産所得のみの被控訴人代表者に帰属することはあり得ないことであり、本件簿外預金は被控訴人に帰属するものである。

(二)  本件通知預金からの払戻金の取得に関する推認事実について

本件通知預金二口の払戻金(大石一郎名義の通知預金(預金元帳番号一四五一)からの払戻金一、四五三、二一二円及び伊藤一郎名義の通知預金(預金元帳番号一一七〇)からの払戻金一、二七〇、八一〇円、合計二、七二四、〇二二円)は、被控訴人代表者が取得したものであるが、これを推認する事実は、次のとおりである。

1 極東ルバル貿易株式会社に対する貸付

被控訴人代表者の極東ルバル株式会社に対する貸付金の返済として昭和三八年八月二四日五一〇、〇〇〇円、同月二七日一、〇〇〇、〇〇〇円がいずれも小切手で大石一郎名義の普通預金(被控訴人代表者の仮名預金)に入金されているが、右多額の金員の貸付は、当時年収六〇〇、〇〇〇円程度の所得で家族五人を扶養していた被控訴人代表者には到底不可能なことであつて、右貸付は本件通知預金からの上記払戻金を流用したものと推認される。

2 城西病院に対する貸付

被控訴人代表者の城西病院に対する貸付金の返済として昭和三八年二月一一日二〇〇、〇〇〇円が大石一郎名義の普通預金(被控訴人代表者の仮名預金)に入金されているが、上記1に記載のとおり、右金員の貸付は、被控訴人代表者には不可能なことであり、右貸付金には本件通知預金からの払戻金を充当したものと推認される。

3 被控訴人代表者所有のビルの新築資金

被控訴人代表者は、昭和三八年一二月被控訴人会社の営業所として貸し付けていた同人所有の建物を鉄筋五階建(地下一階)のビルに建て替えるため、訴外大栄工業株式会社に建築を依頼したが、その建築資金二四、〇〇〇、〇〇〇円は、昭和三八年一二月及び同三九年三月に松本政雄名義の定期預金二口計五、〇〇〇、〇〇〇円を西武信用金庫に設定し、これを担保として提供することにより、同金庫から借り受けたものであるところ、右二四、〇〇〇、〇〇〇円の借入金は、その後被控訴人代表者が逐次返済したが、そのうち少くとも五、〇〇〇、〇〇〇円は、右二口の定期預金をもつてその返済に充当されており、このことは被控訴人に帰属する預金を被控訴人代表者の個人的資産取得のために消費していることを意味するものであり、本件通知預金の払戻金を被控訴人代表者が消費したものと推認される。

(三)  青色申告書提出承認取消処分等の取消の効果に対する反論

被控訴人は控訴人がした青色申告書提出承認取消処分等の取消により昭和三九年一二月二五日付でした本件認定賞与に係る源泉徴収所得税の納税告知処分が当然に無効又は取り消されるべき処分となつた旨主張するが、この主張は争う。源泉徴収による所得税の納税義務は、支払者(源泉徴収義務者)が源泉徴収の対象となる所得を受給者(源泉納税義務者)に支払つた時に成立し、その成立と同時に、税務署長等の処分等の特別の手続を要しないで、納付税額が当然に確定し、そして、それが法定の納期限までに納付されないときに、税務署長は、支払者に対し、当該所得の支払と同時に確定した税額を示して納税の告知を行うのであり、右納税告知処分は、当該所得の支払と同時に確定した税額の納付を支払者に請求する徴収処分としての性質を有するものであるから、支払者が青色申告法人であるか否か、同法人に対する青色申告の承認が取り消されたか否か、また、支払者に対する法人税の更正処分が取り消されたか否かには関係なく、支払者が源泉徴収の対象となるべき所得を支払つたと認められる以上は、その納期限までに源泉徴収による所得税の納付がない限り、当然になし得るものである。したがつて、控訴人が、本件青色申告書提出承認の取消及び昭和三四年八月一日から同三八年七月三一日までの事業年度分の法人税の更正処分の取消をしても、本件認定賞与に係る源泉所得税の納税告知処分の効力には何ら影響を与えるものではない。

(四)  本件源泉徴収に係る所得税の告知処分の効力に対する反論

被控訴人は、本件源泉徴収に係る所得税の課税処分には所得税の確定の時期を誤つた違法があり、また、その告知処分が当時の所得税基本通達二〇五の(八)にも違背すると主張するが、その主張は争う。この点に関する控訴人の主張は、原判決事実摘示第五の二(四)(原判決一二枚目裏末行目から同一六枚目裏末行目まで)に記載のとおりであり、控訴人は本件賞与の確定時期を昭和三八年七月三一日と認定し、その源泉徴収による所得税の法定納期限は同年八月一〇日となるところ、仮に被控訴人主張のように、昭和三八年四月一五日大石一郎名義の通知預金からの払戻分については源泉徴収すべき対象は同年四月分の給与所得、法定納期限は同年五月一〇日、昭和三七年一〇月一〇日伊藤一郎名義の通知預金からの払戻分については源泉徴収すべき対象は同年一〇月分の給与所得、法定納期限は同年一一月一〇日であるとしても、被控訴人の納付すべき税額又は附帯税の額は、本件処分額と同額であり、かつ、被控訴人がこれらの税額を納付する日には差異はないので、被控訴人には何ら不利益を与えていない。

二  被控訴人の主張、認否

(一)  青色申告承認取消処分等の取消による被控訴人の所得及び税額の確定

控訴人は、昭和四九年九月一〇日、被控訴人に対し、本件青色申告承認取消処分並びに昭和三四年八月一日から同三八年七月三一日までの各事業年度の法人税更正処分及びそれらに係る重加算税の賦課処分をいずれも取り消す旨を通知してきたが、右取消処分により被控訴人の所得及び税額は申告通りに確定したので、仮名預金が被控訴人に帰属し、その所得を形成する余地がなくなり、したがつて、控訴人が昭和三九年一二月二五日付でした本件認定賞与に係る源泉徴収所得税の納税告知処分は、当然無効又は取り消されるべき処分となつた。

(二)  本件源泉徴収に係る所得税の告知処分の違法

1 控訴人の主張によれば、本件認定賞与は、各預金の払戻の時期に支払われたものとされているが、それによれば、昭和三八年四月一五日大石一郎名義の通知預金からの払戻分については、源泉徴収すべき対象は同年四月分の給与所得で、その法定納期限は同年五月一〇日となるべき筈であり、また、昭和三七年一〇月一〇日伊藤一郎名義の通知預金からの払戻分については、源泉徴収すべき対象は同年一〇月分の給与所得で、その法定納期限は同年一一月一〇日となるべき筈のものであるところ、本件の課税処分は、昭和三八年七月分の給与所得で、法定納期限は同年八月一〇日とされており、源泉徴収すべき該当の給与所得が課税処分の表示と実体が全く相違し、本件課税処分は違法である。

2 仮に、右支払の時期が明確でないとすれば、当時の所得税基本通達二〇五の(八)により、支払の日が明確でない認定賞与は、法人の当該事業年度の決算確定の日、決算確定の日が明らかでない場合には、当該事業年度終了の日から二か月を経過する日を税額が確定する日としているが、本件処分はこのいずれにも該当せず、違法なものである。

(三)  簿外預金の帰属についての控訴人の主張に対する認否、反論

1 本件簿外預金が被控訴人に帰属するとする主張を争う。本件簿外預金は被控訴人代表者個人のものであり、同人が昭和三四年ごろから被控訴人の営業所を鉄筋ビルに建て直す計画を立て、三年以上日掛預金をすることが西武信用金庫から右建築資金の融資を受けるための条件であつたため、仮名等のもとに独自の財源(貸付金の回収分一、八〇〇、〇〇〇円と借入金五、四三〇、〇〇〇円)により預金を継続し、結局、所期の目標の定期預金の設定に至り、これを担保に建築資金を借り入れ、建物を完成したのである。

2 伊藤一郎、大石一郎及び山田とく各名義の普通預金口座への小切手等の入金とその入金の趣旨については、原判決事実摘示第四の一(三)(原決定七枚目表五行目から同裏一〇行目まで)に記載のとおりである。

(四)  本件仮名通知預金からの払戻金の取得についての認否、反論

1 極東ルバル貿易株式会社及び城西病院に対する貸付を被控訴人代表者個人がしたものであるとする主張であれば、右貸付金の返済は、控訴人の主張のごとく、被控訴人の仮名預金である大石一郎名義に入金されていることとなり、被控訴人の資金となつていることとなり、社外流出の事実は認められないこととなる。

2 控訴人は、本件通知預金からの払戻金のうち五、〇〇〇、〇〇〇円は、昭和三八年一二月及び同三九年三月に被控訴人代表者松本政雄名義の定期預金二口の設定に用いられたとするが、右定期預金は通知預金の払戻後一年以上も経過した後に設定されたものであるうえ、控訴人は右定期預金は仮名預金とともに被控訴人に帰属すると主張するので、結局、払戻金は会社の資産として確保されていることとなる。なお、ビルの建築の開始は昭和三八年一二月であり、建築資金の借入は同三九年二月であつて、上記通知預金の払戻の時期より約一年も経過しているものであり、払戻金と結びつけることは不合理である。

第二証拠関係 <略>

理由

一  当裁判所も被控訴人の控訴人に対する本訴請求は、正当としてこれを認容すべきものと判断するものであるが、その理由は、次のように付加訂正するほかは原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

(一)  青色申告承認取消処分等の取消の効果

1  被控訴人は、控訴人が昭和四九年九月一〇日付でした本件青色申告承認取消処分並びに昭和三四年八月一日から同三八年七月三一日までの各事業年度の法人税更正処分及びそれらに係る重加算税の賦課処分の取消により、被控訴人の所得及びそれに対する税額は被控訴人の申告通りに確定したので、本件簿外預金が被控訴人に帰属しその所得を形成する余地がなくなり、したがつて、本件認定賞与に係る源泉徴収所得税の納税告知処分は、当然無効又は取り消されるべき処分となつた旨主張するところ、<証拠略>を総合すると、控訴人は、昭和四九年九月一〇日付をもつて、被控訴人に対し、昭和三九年一二月二五日付で行つた同三四年八月一日から同三五年七月三一日までの事業年度以降の青色申告承認取消処分を取り消し、右取消に伴い昭和三四年八月一日から同三八年七月三一日までの各事業年度分の法人税更正処分及び加算税の各賦課処分を取り消す旨を通知したことが認められる。

2  ところで、源泉徴収による所得税は、法人税や一般の所得税と異なり、その納税義務は、支払者が源泉徴収の対象となる所得を受給者に支払つた時に成立し、そして、右納税義務の成立と同時に、納付すべき税額が当然に確定するものであり(国税通則法第一五条第一項ないし第三項)、支払者は、右により確定した税額を受給者に対する支払額から徴収してこれを国に納付すべきこととなり、それが法定納期限までに納付されないときに、税務署長は、支払者に対し、当該所得の支払と同時に確定した税額を示して納税の告知を行う(同法第三六条)ものであり、したがつて、右納税告知処分は、当該所得の支払と同時に確定した税額の納付を支払者に請求する徴収処分の性質を有するから、当該支払者が青色申告法人であるか否か、同法人に対する青色申告の承認が取り消されたか否か、支払者に対する法人税の更正処分が取り消されたか否かには関係なく、支払者が源泉徴収の対象となるべき所得を支払つたと認められる以上は、その納期限までに源泉徴収による所得税の納付がない限り、当然になし得るものであり、したがつて、控訴人が、上記認定のとおり、本件青色申告書提出承認取消処分等の取消をしても、それにより、本件認定賞与に係る源泉所得税の納税告知処分の効力には何ら消長を及ぼすものではなく、この点に関する被控訴人の主張は失当である。

(二)  原判決一九枚目表八行目に「同阿達和丸(第一回)の各証言」とあるのを「原審証人阿達和丸(第一回)、当審証人神作亨の各証言及び当審における被控訴人本人尋問の結果」と、同一〇行目に「取引先に対する税務調査は」とあるのを「取引先、取引銀行に対する税務調査は当時中野税務署の法人税調査を担当していた神作亨、富永英一らにより」と、同枚目裏一行目に「当時」とあるのを「昭和三八年当時」とそれぞれ改め、同枚目裏六行目に「右各証言によれば、」とある次に「本件税務調査が上記認定のとおり長期間にわたり相当綿密に行われたのは、」を加え、同一〇行目に「及び富永証人」とあるのを「に由来するものであり、原審証人富永英一」と改める。

(三)1  原判決二〇枚目表末行目に「伊藤一郎名義等で」とあるのを「伊藤一郎及び大石一郎名義で日掛金額二、〇〇〇円ないし一〇、〇〇〇円の」と改める。

2  原判決二一枚目表五行目に「事業年度」とある次に「(別表二(一)記載の順号1ないし5及び7)」を、同七行目に「事業年度」とある次に「(同(二)記載の順号8、14ないし19、22及び23)」を、同八行目に「事業年度」とある次に「(同(三)記載の順号25、33、34、36ないし38及び40ないし46)」を、同一〇行目に「事業年度」とある次に「(同(四)記載の順号47ないし49、57ないし75及び78ないし83)」をそれぞれ加える。

3  原判決二二枚目表二、三行目に「この点について、原告は、原告代表者個人が昭和三四年ごろから同三七年ごろまでに」とあるのを「被控訴人は、右各預金の資金の出所について、被控訴人代表者個人がその実弟である崔鳳植に対して貸し付け昭和三四年ごろから同三七年ごろまでの間に数回に分けて」と、同四、五行目に「昭和三六年ごろから同三八年までの」とあるのを「昭和三六年二月ごろから同三八年二月ごろまでの間被控訴人代表者の実父崔次考らからの」と、同二三行目表三行目に「韓」とあるのを「韓銖燮」とそれぞれ改め、同裏一〇行目に「債務弁済契約書」とある次に「但し、利息は年八分、」を加え、同二四枚目表一、二行目に「債務弁済契約書及び金銭借用書記載の」とあるのを削り、同三行目に「一、五七〇、〇〇〇円を領収した旨の領収書(」とあるのを「一、五七〇、〇〇〇円(昭和三七年一一月五日の貸付金)を領収した旨の金鐘楽の妻都京子名義の領収証」と、同八行目に「借用証」とあるのを「同三八年二月五日付の借用証」とそれぞれ改め、同二六枚目表四行目に「五、〇〇〇、〇〇〇円」とある次に「(呉永楽からの三、〇〇〇、〇〇〇円と須田容次からの二、〇〇〇、〇〇〇円)」を加え、同二七枚目表五行目に「証人松岡寛の証言及び原告代表者尋問」とあるのを「原審及び当審証人松岡寛の証言並びに原審及び当審における被控訴人代表者本人尋問」と改める。

4  原判決二八枚目表九、一〇行目に「明らかである。松岡証人の証言及び」とあるのを「認められる。原審及び当審証人松岡寛の証言並びに」と改める。

5  原判決三〇枚目表一行目に「松岡証人の証言、原告代表者尋問の結果」とあるのを「原審及び当審証人松岡寛の証言並びに原審及び当審における被控訴人代表者本人尋問の結果」と改める。

(四)1  原判決三〇枚目裏一〇行目に「行われた当時」とあるのを「行われた昭和三七年一〇月ないし同三八年四月当時」と、同三一枚目表一行目に「当時から」とあるのを「昭和三二年の被控訴人会社設立の当初から」とそれぞれ改め、同三行目に「旧法人税法施行規則」とある次に「(昭和二二年勅令第一一一号)」を加える。

2  原判決三一枚目表五行目に「阿達証人の証言(第一、二回)」とある次に「、当審証人神作亨の証言」を加え、同六行目に「阿達」とあるのを「富永英一、阿達和丸、神作亨ら」と改め、同六、七行目に「行方を追求したが、」とある次に「後述するように昭和三七年一〇月一〇日四四三、〇〇〇円が被控訴人の当座預金に入金されたものを除き、」を加え、同七行目に「西武信用金庫」とあるのを「被控訴人の主要取引先銀行である西武信用金庫」と、同三一枚目裏五行目に「結局具体的な使途がわからないまま」とあるのを「そして、結局、具体的な使途はわからなかつたが、被控訴人代表者が上記認定のとおり被控訴人の実算的代表者として、被控訴人の簿外預金を自己の管理下において自己の意思により自由に処分することができる地位にあつたことから本件通知預金の払戻金は」とそれぞれ改める。

3  原判決三一枚目裏六行目の次に次の3を加える。

「3 ところで、本件通知預金が被控訴人の簿外預金であることは前記認定のとおりであるが、この通知預金の払戻金につきこれを被控訴人代表者個人の認定賞与と認めるには、右払戻金を被控訴人代表者において取得した事実、少くとも同人において取得したと合理的に推認することができる事実について、課税当局である控訴人においてこれを主張、立証する必要があるところ、控訴人は、本件通知預金の払戻金が被控訴人代表者個人に帰属すべきものと推認する事実として、右払戻金は、極東ルバル貿易株式会社及び城西病院に対する被控訴人代表者個人の貸付金並びに被控訴人代表者個人の所有に係るビルの新築資金に使用されたと主張する。

<証拠略>によると、まず、極東ルバル貿易株式会社に対する貸付金については、昭和三八年八月二四日に五一〇、〇〇〇円、同月二七日に一、〇〇〇、〇〇〇円がいずれも極東ルバル貿易株式会社振出の小切手で大石一郎名義の普通預金に入金された(但し、右小切手がいずれも不渡となつたため、前者については同月二七日に、後者については同月二九日にそれぞれ入金取消の訂正がなされた)ことが認められるが、右入金が本件通知預金の払戻金による被控訴人代表者個人の極東ルバル貿易株式会社に対する貸付金の弁済としてなされたとの点については、これにそう<証拠略>はその推認の根拠が必ずしも十分とはいえず、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、却つて上記認定のとおり、大石一郎名義の普通預金は被控訴人の仮名預金と認められるのであるから、控訴人の主張する右貸付金の弁済金は被控訴人に入金されていることとなり、被控訴人代表者個人の資金による貸付金の弁済金であると推認することは困難である。

この点は、控訴人主張の城西病院に対する貸付についても同様であり、<証拠略>によると、昭和三八年二月一一日に二〇〇、〇〇〇円が大石一郎名義の普通預金に入金されていることが認められるが、右普通預金は被控訴人の仮名預金と認められるのであるから、右入金が、被控訴人代表者個人の貸付金の弁済であると推認することは困難である。

更に、控訴人は、被控訴人代表者個人が、同人所有のビル新築の建設資金二四、〇〇〇、〇〇〇円を西武信用金庫から借り受けるため、その担保として同信用金庫に同人名義で二口の定期預金計五、〇〇〇、〇〇〇円を設定しており、この預金の原資は本件通知預金の払戻金であると推認されると主張する。

<証拠略>によると、西武信用金庫本町通支店において、被控訴人代表者である松本政雄名義で、昭和三八年一二月二五日に二、〇〇〇、〇〇〇円(証書番号二六一〇)、同三九年三月一八日に三、〇〇〇、〇〇〇円(証書番号三一〇六)の二口の定期預金が各設定されたこと及び西武信用金庫本町通支店が二四、〇〇〇、〇〇〇円につき分割貸付を開始したのが昭和三九年一月であることが認められるが、右二口の定期預金は、いずれも本件通知預金の払戻がなされた昭和三七年一〇月又は同三八年四月からすると、八か月ないし一年以上も後に設定されたものであり、同定期預金の原資が何であつたか明らかでないとはいえ、その間の本件通知預金の払戻金の管理が明確にされない限り、たやすく右払戻金をもつて上記定期預金を設定したものと推認することはできない。<証拠略>によると、上記二、〇〇〇、〇〇〇円及び三、〇〇〇、〇〇〇円の松本政雄名義の定期預金は順次同人名義で書き替えられた後、二、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金は昭和四三年六月一〇日に満期となり翌一一日に解約されており、その元利合計二、〇九五、六四一円と三、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金の利息一四三、六七三円のうち八三、九六九円の合計二、一七九、六一〇円が上記二四、〇〇〇、〇〇〇円の借入金の返済に充当されていることが認められるが、このことをもつて上記認定を左右するには足りない。」

4  原判決三一枚目裏七行目に「3」とあるのを「4」と、同三二枚目裏八行目及び末行目に「松岡証人」とあるのをいずれも「原審及び当審証人松岡寛」と、同三三枚目裏七行目に「残余」とあるのを「また、上記大石一郎名義の通知預金の払戻金の残余」と、同一〇行目の「及び」から同三四枚目裏二行目までを「については、これが被控訴人が主張するように被控訴人代表者個人が被控訴人に貸し付けた金員と認めるに足りる証拠はない(却つて、前記認定のとおり、伊藤一郎名義の通知預金は被控訴人に帰属する簿外預金であるから、むしろ簿外預金から、同日(昭和三七年一〇月一〇日)被控訴人の正規の当座預金に振り替えられたこととなる。)し、また、四六〇、〇〇〇円の大石一郎名義の定期預金の存在にしても、その原資及び最初の定期預金の設定の時期は明らかでなく、被控訴人主張の事実を認めるに足りる証拠は存しない。」とそれぞれ改める。

5  原判決三四枚目表三行目から同裏八行目までを「5以上の次第であり、本件通知預金の払戻金の使途は結局不明であり、したがつて、控訴人が主張するごとく、被控訴人代表者が取得し、費消したものと認めるには足りず、被控訴人が被控訴人代表者に賞与として支給したものと認定してした控訴人の本件処分は、その余の被控訴人の主張について判断するまでもなく違法であるといわざるを得ない。」と改める。

二  よつて、被控訴人の本件処分の取消を求める本訴請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林信次 浦野雄幸 河本誠之)

【参考】第一審判決

(東京地裁昭和四四年(行ウ)第四二号昭和五二年三月二四日判決)

理由

一 請求の原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二 そこで、本件処分が違法であるかどうかについて判断する。

(一) 原告は、被告は原告に対し徹底した調査を行い信用を失墜させ、また中野民商を脱退するに至らしめるなど本件処分は中野民商弾圧の一環として行つた違法な調査に基づくものであるから違法であると主張する。

<証拠略>によれば、原告の昭和三四年八月一日以降の四事業年度を対象とする原告及びその取引先に対する税務調査は昭和三八年一一月ごろから約一年余り行われたこと、原告代表者尋問の結果によれば、現原告代表者崔昌植(当時の原告代表者は名義上新山禎美であつたが、崔昌植が実質的代表者であつたことは、後記認定のとおり。以下、崔昌植をたんに原告代表者という。)は右調査当時中野民商税対部長の地位にあつたが、昭和三九年五、六月ごろ民商を脱会したことが認められる。しかしながら、<証拠略>によれば、原告の取引銀行たる西武信用金庫に原告の簿外預金と思われる多数かつ多額な仮名預金等が存在し、多額な売上げ脱漏のあることが推認されたため西武信用金庫及び仕入先等の調査に相当の期間を要したこと及び<証拠略>によれば原告代表者に対し民商脱会を勧告した事実はないことが認められる。原告代表者は右調査は民商弾圧のための調査であると供述するが、<証拠略>と対比し採用し難く、他に原告主張事実を認めるに足る証拠はない。よつて原告の右主張は理由がない。

(二) 被告は原告の簿外預金である本件通知預金の払いもどし金を原告代表者が取得したと主張するので、まず本件通知預金が原告の簿外預金と認められるかどうかについて判断する。

1 被告所部係官が原告の法人税の調査を行つたこと、西武信用金庫に別表一記載のとおり昭和三四年一〇月三一日から伊藤一郎名義等で日掛預金が行われていたこと、西武信用金庫に別表二記載の預金のうち順号6、20、21、24、26、27、35、39、50、51、76、77を除く預金が存在していたこと、別表四(一)(二)記載のとおり伊藤一郎、大石一郎名義の普通預金口座に小切手等の入金のあつたこと、別表五記載のとおり伊藤一郎名義の普通預金口座から原告の公表預金口座に振替が行われたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2 被告は別表二記載の預金はすべて原告の簿外預金であると主張し、これに対し原告は別表二記載のうち順号1ないし5、7、8、14ないし19、22、23、25、33、34、36ないし38、40ないし49、57ないし75、78ないし83は原告の簿外預金ではなく原告代表者に帰属する預金であると主張する。

(1) しかしながら、原告が原告代表者の預金であると主張する右各預金の期中増加額を集計すると、昭和三四年八月一日ないし同三五年七月三一日の事業年度には七九二、二六三円、昭和三五年八月一日ないし同三六年七月三一日の事業年度には八三四、八二九円、昭和三六年八月一日ないし同三七年七月三一日の事業年度には二、六九四、〇一七円、昭和三七年八月一日ないし同三八年七月三一日の事業年度には一、二五六、六六二円の期中の増加が認められるところ(その合計は五、五七七、七七一円となる。)、<証拠略>によれば、原告代表者の昭和三四年分ないし同三八年分の総所得金額は別表三記載のとおりであること、原告代表者の家族のうち五名は原告代表者の扶養親族であつたことが認められる(原告代表者に他に所得があつたと認めるべき証拠はない。)から、これらの者の生計費を考慮すれば、原告代表者が昭和三四年ないし同三八年の間に原告が原告代表者に帰属すると主張する右各預金(この中には本件日掛預金のうち預金元帳番号三九九四を除く各日掛預金が含まれる。)をする余裕があつたと認めることは困難である。

(2) この点について原告は、原告代表者個人が昭和三四年ごろから同三七年ごろまでに返済を受けた一、八〇〇、〇〇〇円の貸付金の回収金、昭和三六年ごろから同三八年までの六口の借入金計五、四三〇、〇〇〇円を資金として日掛預金をし、これを条件として西武信用金庫からビルの建築資金二四、〇〇〇、〇〇〇円を借り受けたと主張する。

<証拠略>によれば、崔鳳植は昭和三四年六月原告代表者から開店費用として二、〇〇〇、〇〇〇円を借用し、昭和三七年までに何十回に分けて一、八〇〇、〇〇〇円を返済した旨の昭和三九年九月一二日付借用証が作成されていることが認められ、<証拠略>中にはこれにそう部分がある。しかしながら、<証拠略>によれば同証人は原告代表者の弟と認められるところ、金銭貸借、返済能力及び返済に関する同証言は極めてばく然としており、右書面が作成された経緯も明確でなく、また前示原告代表者尋問の結果もにわかに措信し難く、はたして右書面に現れたような金銭の授受があつたかどうかは極めて疑わしいといわなければならない。

<証拠略>によれば原告代表者は昭和三六年八月一〇日韓から七〇〇、〇〇〇円を弁済期昭和四三年七月一〇日無利息の約束で借り受けた旨の借用証及び昭和四〇年三月三一日付で同旨の債務弁済契約公正証書(ただし、借受けの日は昭和三六年八月一日)が作成されていること、<証拠略>によれば原告代表者は崔次孝から昭和三六年九月一〇日ないし同三八年一月一一日の間に借受けた債務が昭和四〇年四月八日現在一、八三〇、〇〇〇円であることを確認し、弁済期昭和四五年一二月三一日利息日歩二銭三厘とする旨の債務弁済契約公正証書が昭和四〇年四月八日付で作成されていること、<証拠略>によれば原告代表者は金鐘楽から昭和三七年一一月五日一、〇〇〇、〇〇〇円を弁済期昭和四一年五月四日利息日歩二銭六厘の約定で借り受けた旨の昭和四〇年四月六日付金銭消費貸借契約公正証書、同旨の昭和四一年五月一日付債務弁済契約書(公証人の確定日付は同四二年一一月二一日付)、昭和三七年一一月五日付金銭借用書(ただし、債務弁済契約書及び金銭借用書記載の利息は年八分)及び昭和四四年一二月一一日元利合計一、五七〇、〇〇〇円を領収した旨の領収証が作成されていること、<証拠略>によれば、原告代表者は橋本和男から昭和三八年二月五日九〇〇、〇〇〇円を弁済期同四四年五月三〇日の約定で借り受けた旨の借用証及び同四〇年四月二日付債務弁済契約公正証書が作成されていることがそれぞれ認められる。

しかしながら、原告代表者尋問の結果によれば、韓銖燮は原告代表者の義弟、崔次孝は原告代表者の父、金鐘楽は原告代表者の父の友人、橋本和男は原告の従業員の父であることが認められるところ、韓との貸借について韓証人は原告代表者がビルを建築した場合にビルの一室を提供してもらう条件で貸付けたと証言する一方、提供を受けるべき部屋の構想も抽象的なものにとどまり、ビルが完成しても部屋の提供を受けておらず、貸借当時は何らの借用証書もとらず、その後に作成された借用証書記載の弁済期を三年余も過ぎた昭和四七年四月に利息に見合う金員も合わせて一、〇〇〇、〇〇〇円の返済を受けたが領収証も書いていないと証言する等矛盾や不自然な点が多く右証人の証言は措信できない。金鐘楽との貸借についても、一、〇〇〇、〇〇〇円の出所に関する都証人の証言は不自然な点が多いのみならず、阿達証人の証言(第一回)によつて認められるところの調査当時の被告係官に対する供述とも異なつており採用し難い。また原告主張の借入れが真実であるとするならば当時としてはかなりの金額の貸借であるのに、父崔次孝はともかくとし、その他の債権者が何ら債権担保の手段を講じていないことは奇異の感を免れないし、公正証書の作成がいずれも金銭を借用したとする日の二年余ないし三年余もの長期間を経過した後であり、しかも本件処分及び原告の昭和三四年八月一日以降の四事業年度の法人税更正に対する異議申立書受付の日である昭和四〇年一月一九日(右受付日は<証拠略>により認められる。)以降に作成されていることは極めて不自然である。原告代表者は公正証書を作成したのは被告の要求によるものであると供述するけれども、到底措信することができない。

さらに<証拠略>によれば、被告所部係官が原処分に係る調査に際し本件仮名預金等の帰属につき質問した際、原告代表者は当初は右仮名預金等は呉永楽及び須田容次からの借入金計五、〇〇〇、〇〇〇円がその資金源である旨申し立て借用証書等を提出したが、昭和三九年一一、一二月の調査の際にはこれを撤回し、仮名預金等の大部分は原告の売上金を除外して積み立てたものであると申し立て、更に異議申立ての段階で本訴におけるとほぼ同様の主張をした事実が認められ、これによれば右主張を裏付ける手段として異議申立ての段階で急きよ前記各公正証書を作成したとみるのが相当である。

また原告代表者は右借入金等を手元に保管しながら本件日掛預金をしたと供述するが、多額の現金を自己の住居に長期間保管しながら日掛預金をするというようなことは極めて不自然であり、もし借入金等により多額の現金が手元に保管されているとするならば、当然当該金員をもつて定期預金等の固定性預金としたはずである。したがつて原告代表者の右供述は到底措信することができず、右借入金等をもつて本件日掛預金としたとする原告の主張は採用することができない。そして、原告は電気器具販売業者であつて日々現金売上げを得ているところ、日掛預金は日銭収入がある者が行うのが通例であるから、他に日掛預金の資金源を認めるべき証拠がない以上、原告代表者は原告の現金収入から本件日掛預金を行つていたと推認するのが相当である。<証拠略>中右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3) 原告は多数の架空名義等を使用して預金口座を設定したのは西武信用金庫の担当者小野が同人の成績を上げるためなど西武信用金庫側の事情によると主張する。

しかしながら<証拠略>によれば、小野は原告の指示又は了解なしに預金名義を変えたり、預金相互間の振替を行つたことはなかつたこと、預金口座名義を分割することによつて小野の成績があがるものではないことが明らかである。<証拠略>中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用することができない。

(4) ところで第三の二(四)12記載の事実は、当事者間に争いがない。

本件通知預金の原資となつた伊藤一郎名義の日掛預金(別表一預金元帳番号四二三一及び四六二〇)も原告の収入から流出され預け入れられたと推認すべきこと前認定のとおりであるが、さらに次の事実を合わせるとその名義等からしても原告に帰属する預金であることは明白である。

すなわち、前記のとおり右日掛預金と同一名義である伊藤一郎名義の普通預金口座(預金元帳番号一六四七・別表二順号2、8、25、47)に別表四(一)記載のとおり小切手等の入金があり、また別表五記載のとおり右普通預金口座から原告の公表預金口座に振替が行われていることは当事者間に争いのないこと前示のとおりであるが、<証拠略>によれば右小切手等は原告の取引先が原告の売上代金の支払として振出した小切手等であり、これらの小切手等には原告自身が裏書して入金しているもの二六枚が含まれていることが認められる。

この点について原告は、別表四(一)のうち一部は原告代表者の貸付金の回収金を入金したもの、その余は原告の商品代金等の支払として原告に支払われた小切手等を原告代表者が現金化するため原告代表者の右預金口座に入金したもの、別表五は原告が原告代表者から資金を借入れたものであると主張する。

しかしながら、右小切手等の入金が貸付金の回収であることを認めるに足る証拠はないし、また原告には公表預金口座が存在したから、原告に対して支払われた小切手をわざわざ原告に帰属しない預金口座に入金する理由についても何ら首肯するに足る説明はない。したがつて、伊藤一郎名義の右普通預金口座は原告の簿外預金口座と認めるのが相当である。右認定に反する<証拠略>は採用しない。

次に、<証拠略>によれば、別表一の預金元帳番号三二二八、三四一〇、三五八七の伊藤一郎名義の各日掛預金の元帳においても原告の簿外預金と認められる前示伊藤一郎名義の普通預金口座の元帳に届け出られていると同一の印章が届け出られていることが認められる。

したがつて、右伊藤一郎名義の右各日掛預金も原告に帰属する預金であり、これと同一名義の預金元帳番号四二三一、四六二〇の各日掛預金も原告に帰属し、したがつて、これから振り替えられた本件通知預金もまた原告に帰属する預金であるというべきである。

(三) 次に原告代表者が本件通知預金の払いもどし金を取得したかどうかについて判断する。

1 原告代表者が原告の資本金の七〇パーセントを出資していたことは、当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、本件通知預金の払いもどしが行われた当時原告の代表者は新山禎美であつたが、これは原告代表者が朝鮮人であつたため取引先の信用を得るため名義を借用しただけにすぎず、当時から原告代表者が実質的代表者として経営に従事していたことが認められるから、原告代表者は旧法人税法施行規則第一〇条の三第五項の「役員」に該当するというべきである。

2 <証拠略>によれば、被告所部の係官阿達は本件通知預金の払いもどし金の行方を追及したが、西武信用金庫の預金に預け入れられた形跡も、他の銀行に預け入れられた形跡もなく、原告が不動産の取得、会社の設備等の支出に充てたり、借入金の返済に充てた様子もうかがわれなかつたこと、簿外経費の支出についても、少額の簿外仕入れについては全くないとは確認できなかつたが、多額の簿外経費の支出に充てた事績は見当たらなかつたこと、原告代表者もこの点については明確な答弁をしなかつたこと、また原告代表者のためにこれを費消したと認めるに足る事績も発見し得なかつたこと、結局具体的な使途がわからないまま原告代表者が費消したと認定したことが認められる。

3 これに対し原告は、大石一郎名義通知預金の払いもどし金のうち、昭和三八年四月一八日に三〇〇、〇〇〇円、同月二五日に一〇〇、〇〇〇円をそれぞれ大石一郎名義の普通預金に入金し、さらにそのころ「大石」の印鑑による一、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金を設定(これは同年一〇月三〇日「森本」の印鑑による期間一年同額の無記名定期預金となる。)し、残余は日掛預金に預け入れ、伊藤一郎名義通知預金からの払いもどし金のうち四四三、〇〇〇円は昭和三七年一〇月一〇日原告に貸付け原告の当座預金に入金し、四六〇、〇〇〇円は何らかの名義で定期預金(期間三か月)を設定(その後大石一郎名義の定期預金となる。)したと主張する。

昭和三八年四月一八日に三〇〇、〇〇〇円、同月二五日に一〇〇、〇〇〇円が各大石一郎名義の普通預金口座に入金されていること、昭和三七年一〇月一〇日四四三、〇〇〇円が原告の当座預金に入金されていること、大石一郎名義の定期預金四六〇、〇〇〇円が存在したことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、昭和三九年一〇月三〇日満期の「大石」の印鑑による一、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金が存在したことがうかがわれる。

ところで、これらの預金が本件通知預金の払いもどし金によるものであるか否かにつき松岡証人は西武信用金庫の担当者小野斎昭とでそのように確認した旨供述をするけれども、小野証人の証言と対比しても措信し難く、結局原告主張にそう松岡証人の証言はいずれも同人の推認を述べたにすぎないものと認められ、原告主張事実を認めるに足るものとはいえない。しかして、大石一郎名義の右三〇〇、〇〇〇円及び一〇〇、〇〇〇円の普通預金については、大石一郎名義通知預金の払いもどしのされた日時と普通預金に預け入れられるまでの日時との間に三日ないし一〇日の期間があり、その間に右通知預金から払いもどされた現金がどのように管理されていたのかは判然としないから、右各普通預金が大石一郎名義通知預金の払いもどし金によつて充てられたことを認めることはできない。また原告主張の昭和三八年四月に「大石」の印鑑による一、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金が設定されたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて<証拠略>によれば昭和三九年一〇月三〇日無記名定期預金が満期になつた後「森本」の印鑑で継続したことがうかがわれるのであつて、いずれにせよ、前記昭和三九年一〇月三〇日満期の無記名定期預金がいずれの資金により預け入れられたかは不明である。残余が日掛預金に預け入れられたことを認めるに足る証拠もない。

次に伊藤一郎名義通知預金の払いもどし金についても、四四三、〇〇〇円の原告の当座預金への入金及び四六〇、〇〇〇円の定期預金の存在が右通知預金の払いもどし金に関連するものであるか否かを明らかにすべき証拠はない。

4 そうすると本件通知預金の払いもどし金の使途は結局不明であるといわざるを得ない。

ところで、会社の簿外預金の払いもどし金を会社役員の認定賞与と認めるには、会社役員がこれを何らかの形で取得したことが積極的に立証されるか、少くともそれを推認するに足る事実が立証されることが必要であるというべきであり、このことは会社役員が簿外預金を自己の管理下において自己の意思により処分できる地位にある場合においても同様である。しかるに本件においては、払いもどし金の使途は不明であるというだけで、合計二百数十万円という当時としてはかなりの大金であるのにかかわらず、その一部についてすら、原告がこれを取得した事実についてのみならず、取得を推認するに足る事実についての証拠も全く存在しない。そうすると、原告が原告代表者に賞与を支給したものと認定してした被告の本件処分は、その余の点を判断するまでもなく違法であるといわなければならない。

三 よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三好達 時岡泰 成瀬正己)

別表 <略>

別紙 <略>

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